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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)8005号 判決 1969年3月31日

原告

松岡高義

被告

三和建築株式会社

代理人

水本民雄

外二名

主文

被告は原告に対し、一、一八九円並びにこれに対する昭和四一年七月二二日以降右支払すみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実<省略>

理由

(一)  被告が土木建築の設計、監督並びに請負を業とする会社であること、原告は昭和四一年六月六日から会社に一ケ月の給与六〇、〇〇〇円の約定で雇用されて勤務してきたが、同年七月一五日に解雇されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

(二)  (時間外勤務手当)

<証拠>によれば会社の勤務時間から午前八時から午後五時までであることが認められるところ、<証拠>によれば、原告は会社在勤中数度にわたつて退社時刻よりも相当時間遅れて退社したことがあること、それは原告が会社の仕事を処理するために居残つたものであることが認められる。しかしこの居残りが社長である高瀬の包括的ないしは個別的な指示命令にもとづくものと認める証拠はなく、却つて<証拠>によれば高瀬は原告に対し入社間もない頃勝手に残業をしないよう指示したことが認められる。とすれば原告が居残つたのは会社の意向に反するものですべて同人の任意自発的な意思にもとづくものとみざるをえないからこれに対し会社は時間外勤務手当を支給する義務はない。

(三)  (賞与請求権)

原告は事実たる慣習として賞与請求権を有するとしているが、賞与請求権の発生に関する右主張はにわかに首肯し難い。そして会社と原告との間に原告に賞与を支給すべき約定は証拠上も認め難く、又他従業員には夏季賞与金(一時金)が支給されたとしても、<証拠>から明らかなように、原告の身分が試用期間中の社員であるということに徴すると、原告にのみ賞与が支給されなくても格別異とするに足りず、従つて原告のこの請求は理由がない。

(四)  (七月分給与未払金)

会社が原告に対し昭和四一年七月分給与として二〇、〇〇〇円の支払をしたことは当事者間に争いかないところ、労働者が自己の都合によつて欠勤又は遅刻早退をして就業しなかつたときには、たとえその労働者が月給を支給されるものであつても、この点につき使用者との間に格別の取決めがない以上、この日又は時間についての賃金債権は消滅すると解すべきである。そして<証拠>によると、原告は七月五日、六日、七日、一四日、一五日の五日間欠勤し、一三日は午後から出勤したことが認められるが、この欠勤が原告と無関係の事情にもとづくものと認めるべき証拠はないから、原告はこれらの日の賃金を請求することはできず、会社はその分の賃金を除いたその余の分を支給すれば足りることになる。とすれば月額給与六〇、〇〇〇円の一五日分にあたる三〇、〇〇〇円から右五日半分を差引くと残り資金は二〇、〇〇〇円以下となるから、会社が前記のように既に二〇、〇〇〇円を支払つた以上未払分はないこととなる。従つて原告のこの点の請求は理由がない。

(五)  (予告手当金)

(1)  <証拠>によると次の事実が認められる。

会社は原告を社長を補佐して従業員を監督指揮する技術員として雇用したのであるが、高瀬社長は従業員に対し原告を自分の片腕であると紹介する一方、自ら原告を連れだつて得意先である東京電力千葉火力発電所へあいさつに赴いたり、請負工事の見積りや会社就業規則の作成等枢要な業務にあたらせた。この事実からすると、原告が果してその主張するとおり同社の総務部長兼工事部長に任せられたか否かはともかくとして、いずれにしても一般従業員を統括してこれを指揮監督する地位に任命されたものとみるのが相当である。

(2)  そして右証言並びに各尋問の結果によれば、原告は入社早々より従業員の経歴を調査し、或いは直接従業員を呼んで家庭状況等をいろいろ尋ねたり、更にはこのようにして調査したことをノートに書き込む等したことが認められるが、原告の前記職務からすると、これをもつてあながち職務権限外の所為に及んだものとみるわけにはいかない。しかしこの調査に際しての原告の態度は高圧的で、多分に相手を刺激するなど無思慮にすぎるとの批判を免れない点も多かつたことから、原告に対し反感を抱く空気が職場内に充満した。又これによる社内の動揺から会社の将来に不安感を抱いたり、原告に対する強い反発から遂には会社を退職するものも出たことが認められる。これらの事実からすれば、原告の職場における執務態度は必要以上に刺激的且つ高圧的で行き過ぎのきらいがあり、従業員間に混乱をもたらした原告の責任は重い。

(3)  昭和四一年六月九日、原告が山口哲郎と千葉の工事現場へ出掛けたこと、このとき雨が降つていたことから原告が東京電力から車を出してもらえないかと言つたり、従業員に街まで車を呼びにいかせたことは当事者間に争いがない。しかし右当事者間に争いがない事実以上にこの折の情況を窺わせるに足りる証拠はない。

ところで、得意先の東京電力に車を出させるということはいささか唐突で常識的ではないとの感じは免れないけれども、それ以上に原告の言辞ないし、行動を非難すべき点はみあたらない。

(4)  原告が自分の出勤カードに被告主張のような記入を勝手にしたことは当事者間に争いがない。しかし、出勤カードへの記入は本来どの係がするものなのか、又その記入が不正確なのか、いずれの点も証拠上はつきりしないばかりか、原告本人尋間の結果によると、右記載はほぼ正確であることが認められる。

次に六月七日の件であるが、被告は当日原告が早退した旨主張するが<証拠>によれば原告は当日遅刻はしたけれども退社したのは出勤カード記載のとおりの時間であつたこと、又、この遅刻については予め会社の方へ連絡のしてあつたことが認められるから被告の主張はあたらない。

(5)  会社は原告が無断欠勤ないし無断早退したと主張する。そこで順次検討するに、先づ六月一三日の午後については出勤カードにペン書きながら15・17と書き込まれており、原告もその本人尋問で早退を否定するような供述をしており、他にこれを覆えすべき証拠もないことから、同日原告が早退したとみえるのは難しい。次に六月一八日の早退については<証拠>から頭痛を理由に会社に連絡の上早退したものと認める。七月五、六、七日の三日間については<証拠>からこれも頭痛を理由に会社に事前に電話連絡の上欠勤したことが認められる。七月一三日午後の早退並びに一四日、一五日の欠勤については事前の届出があつたものと認められない。けだし、この三日間についても甲第一七号証、第二三号証の届書が書証として提出されているが、右両号証並びにその余の届書(甲第一〇号証、第一二号証)のいずれについても会社がこれを受取つたとの証拠はなく、却つて届書を現に原告が所持していることも不自然であり、更に原告本人尋間の結果によれば七月一三日の午後には会社から原告を解雇する旨の通知書が届いていたというのであるから、原告があえて届を出したかどうか疑問だからである。

(6)  <証拠>によると以下の事実が認められる。原告提出の履歴書(乙第一号証)は原告が昭和四一年六月ごろ作成したものではなく、少くとも「追記」を付記した昭和四〇年一二月以前に作成したものであること、原告は昭和三七年一月以降いくつかの会社を転々としたがこのことの記載がないこと、一方高瀬もこの履歴書が提出時に作成されたものではないことが一応判つていたこと、以上の事実が認められる。

この点からすると、この履歴書は積極的に虚偽の記載をしたという訳ではないが、本来履歴書というものはそれが作成された時までの経歴を評細且つ正確に記載すべきものであることに徴すると、原告提出の履歴書は右認定の限度で不正確なものであつたというべきである。又、被告は原告が履歴書の経歴欄に記載した経歴に見合うに足りる能力を有しなかつたと主張する。<証拠>によると、原告が入社して間もなく、高瀬が原告に東京電力多摩支店郷地変電所の入札工事の見積りを命じたところ、経験者なら四・五時間でできる筈の見積りを原告は四日間もかかり、しかもでき上つたものは極めて不完全で、そのままでは到底使用に耐えないものであつたことが認められる。このことに徴すると、原告は会社の期待する実力を持ち合わせなかつたものと考えられるが、しかし、前記のように原告がその履歴書で原告の能力を誘大に評価させるような虚偽の記載をした訳でもない以上、原告を責めるのはいささか酷である。

(7)  以上の事実関係からすると、原告は被告会社々長高瀬を補佐する技術員として雇用されながら、職場内における勤務態度がその地位にふさわしくなかつたために、他従業員に不安と反感を与え、職場内に混乱と動揺をまきおこした上、何人かの従業員が原告との折合いの悪いことを主たる理由として退社してしまつたのであるから、これが会社の能率や成績に影響したであろうことは推認するに難くなく、従つて本件請求の判断につきこの点を看過することはできない。

ただこのような事態に立至つた一因として、新参の原告がいきなり古参の従業員を指揮監督する立場にたつたことえの他従業員の反発もあつたことが窺われるが、それにしても原告がこれらの反発からくる社内の混乱を収捨しようと努めた形跡は全くなく、むしろ原告の前記執務態度はこれに油を注ぐような結果となつており、原告の責任は軽視できない。

又、原告は七月に入つてから一五日までの間に五日間欠勤した他、全勤務期間中(四〇日)に三回早退ないし遅刻をしている。勿論これらの欠勤等については七月一四日、一五日を除いてそれぞれ届を出したり、電話で連絡している場合が殆んどであるけれども、少くとも頭痛という欠勤理由については<証拠>によつてもいささかあいまいで診断書もないことに徴すると、原告の七月の出勤成績は極めて不良であるといわざるをえない。

ただ原告の技能が会社の期待する程でなかつたことは前認定のとおりであるが、原告が故意にもてる技能を発揮しなかつたという証拠もない以上、これは会社が原告の技能を過大評価しすぎたことが原因であつてこれを原告の責任とすることはできないこと前記のとおりである。

このようにみると、被告が試用期間中であつた原告の解雇に踏み切つたこと自体は充分首肯しうるものがあるが、果して右認定の事実が労働基準法第二〇条の「労働者の責に帰すべき事由」に該るかどうかは微妙なところである。

(8)  ところで原告は本件とほゞ同種の訴訟を現に当庁民事第一部に二件提起している他、原告はこれ迄も同種の訴を屡々当庁へ提起しており、このことは当裁判所に顕著な事実である。加えて原告は前記のように、昭和三七年一月以降勤務したいくつかの会社を履歴書に記載せず、更に弁論の全趣旨から原告は欠勤する旨の会社への電話連絡をテープに採るなど、通常では考えられないような事前措置を構じていることも認められる他、更に前記のように七月になると急に欠勤をはじめたことや、<証拠>によれば、原告は会社を退社してから間もない昭和四一年八月五日「蔵王建設」というところに給与月額五〇、〇〇〇円で雇用され一ケ月勤務した後退社したが、その際一四、〇〇〇〇円余を請求して差押えを行つたり、続いて雇用された「青梅建設」でも悶着を起して辞めたことが認められることに徴すると、原告が会社を早い時期に退社して解雇予告手当を得ようとしたのは、同人のかねてよりの意図にもとづくものと推認せざるをえない。

とすると、原告の勤務はこのような意図のもとに行われ、その結果前記認定のような勤務振りとなつて現われたものと考えられる。そうであれば、も早このような執務態度と出勤成績不良の事実の存する原告を、予告手当を支給してまであえて保護する必要はないというべく、従つて右事実をもつて労働基準法第二〇条に定める労働者の責に帰すべき事由にあると解するのが相当である。

(六)  (過払社会保険料)

会社が原告の昭和四一年六月分の給与から社会保険料として三、六〇〇円を、同年七月分給与から一、一八〇円を各源泉徴収したことは当事者間に争いがない。しかし、健康保険法並びに厚生生金保険法によれば、事業主はこの保険料を翌月分の給与から徴収して納付することとなつている他、被用者である被保険者が被保険者の資格を喪失したときには、その月分の保険料は納付する必要がないと解される。とすれば原告の主張は理由があるというべく、且つその計算関係もその主張とおりであるから、被告は七月分給与から徴収した一、一八〇円と六月分給与から徴収した分についての利息相当の損害金九円の計一、一八九円と同年七月二二日以降の民事法定利率に従つた遅延損害金を原告に支払う義務がある。ただ、被告は六月分保険料につき不足分二九〇円を立替払したと主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、又立替えたというだけで原告の請求金額を当然に減殺できるものでもない。

(七)  (附加金)

原告の時間外勤務手当と解雇予告手当の請求が認められないことは先に説明した。とすればこれら請求権の存在を前提とする労働基準法上の附加金の請求は当然認められない。

(八)  (結論)

以上判断のとおりであるから、原告の請求中社会保険料の過払分とその損害金合計一、一八九円の支払を求める部分は理由があるからこれを正当として認容し、その余の請求は理由がないから失当として棄却することとした上、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して全部原告に、負担させることとし、仮執行の宣言はこれを付さないこととして主文のとおり判決する。(宮本増)

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